始めにお断りしておきます。
『壬生義士伝』
この小説は決して電車の中で読まないで下さい。
人の目の有るところでは読まないで下さい。
号泣します。
涙と鼻水が止まらなくなります。
『鉄道員(ぽっぽや)』で日本中を感涙の渦に巻き込んだ「泣かせ屋」浅田次郎氏の初の時代小説にして渾身の一冊。
様々な語り部によって語られる「誠の武士」新撰組吉村貫一郎の激しくも儚い生涯。
武士とは如何なる存在なのか。男とは何の為に生きるのか。
あらすじと感想を通して、そのほんの一部をご紹介致します。
ほんの一部、ですので、その続きは是非とも本作を読んで頂き、ご自身の目でお確かめ頂く事をお勧め致します。
ただし。
くれぐれも、人の目の無いところで読まれる事をお勧めします。
ブログ運営者より:
この記事の本文は読書家ライター・楽観さんに書いて頂きました!
小説『壬生義士伝』のあらすじ
『壬生義士伝』のあらすじ①:満身創痍の壬生狼
慶応四年一月。
正月の三日に先端を開いた鳥羽伏見の戦いもあらかた大勢は決し、薩長を中心とする新政府軍に押し捲られた幕軍は京都から大阪城を目指して潰走に潰走を続けていました。
未だ混沌とした情勢、薩長につくべきか幕府方に味方するべきか。
旗幟を明らかに出来ない各国諸藩。
南部盛岡藩もその一つ、「事が明らかになるまでは中立を保つべし」と南部藩大阪蔵屋敷では「剃刀次郎衛」の異名を取る蔵屋敷差配役・大野次郎衛門を中心とした重臣達の判断により、「向い鶴丸」の家紋を入れた提灯を高々と掲げ(中立の証)、静観に徹しようとします。
と、そこへ。
全身血と泥に塗れ、「一体何人の人を切ったのだ」と思うほどに刃も切っ先も欠け、飴のようにぐにゃりと曲がった抜き身を引っさげた一人の落ち武者が姿を現します。
これこそ、鳥羽伏見の激戦をくぐりぬけ、死線からようやくの思いで生き延びた吉村貫一郎、その人でした。
慌てふためく警護の若侍達に「南部盛岡から脱藩した者だ」と告げ、旧主家である南部藩への帰参を申し出る貫一郎。
重臣達が顔色を変えるなか、一人大野次郎衛門だけは顔色を変えません。
大野次郎衛門は蔵屋敷の奥まった十畳間に貫一郎を通し、面会します。
次郎衛門に対して脱藩の理由と帰参の願いを切々と語りかける貫一郎。実は二人は幼き日を共に過ごした竹馬の友だったのです。
「何を今更、壬生狼めが」
藩士一同の前で大野次郎衛門は貫一郎に対して吐き捨て、「見世物ではござらぬ」と藩士一同を下がらせます。
今や貫一郎と二人きりになった大野次郎衛門は思わず「のう、貫一」と親しげに声を掛けるのでした…
『壬生義士伝』のあらすじ②:時代の語り部達
時は流れて大正四年。東京は神保町の角っこにある「角屋(かどや)」という居酒屋に、一人の若い勤め人が尋ねてきます。
朝飯が五銭、昼の定食は十銭、夜は講釈話のつく居酒屋として、界隈の大学生を中心になかなか繁盛している様子です。
この店主、見た目は若いが本人曰く「七十の峠はとうに越している」との事で、「天保の生まれ」というから大正から遡ると明治・慶応・元治・文久・万延・安政・嘉永・弘化・天保と、なんと10個の元号を股にかけて生き抜いてきた事になります。
浦賀にペリーが来航したのが嘉永年間の事ですから、大正を生きる若い勤め人からすればもはや歴史上の人物と言っても良いくらいような印象を受けたのではないでしょうか。
気さくな店主は一杯ご馳走になりながら、若い勤め人に昔話をせがまれ、「催促されなくたって、お話しいたしやすよ」と切れのいい江戸弁で答えます。
「東山三十六峰静かに眠る丑三つ時」と講談の口調を真似て「桂小五郎でも月形半平太でも、見てきたように話す」と語る店主に、若い勤め人は意外な提案をします。
「新撰組の話を聞きたい」
店主は「そいつぁ面白くねぇ」と笑いながら煙に巻こうとしますが、若い勤め人は引き下がりません。
「誰だ、あんた」
ただの客じゃねえな。いってぇ何しにきやがった。
途端に気色ばむ店主。
若い勤め人が真面目に聞こうとしていると悟ったのか、「話してやろう」と許しを出します。
ただし、自分の名前は明かしません。
「生き残ってるってこたぁ、それだけ人を殺してきたってこった」と、名前を明かさない理由を話します。
そりゃそうでしょうね。さんざん人を叩っ斬ってきたということは、それだけ恨みを買ってきた訳ですから。
本名を明かした途端「親の仇」とばかりに挑みかかってくる人間があちらこちらに居る訳です。身も縮む思いで生きてきたのでしょう。
近藤勇。芹沢鴨。土方歳三。沖田総司。新撰組を代表する剣客達の名を挙げ、「生の話を聞かせてやる」という店主に、若い勤め人はまた意外な名前を告げます。
「なに、吉村」
吉村って、吉村貫一郎のことかい、と店主。意外な名前に面食らう店主ですが、「身内じゃねえな」と念を押し、よっぽど酔狂な男だねアンタはと軽く毒づきながら店主は語り出します。
店主が語る吉村貫一郎と新撰組の物語。それは、まさしく「芝居でも講談でもない生の話し」そのものなのでした。
小説『壬生義士伝』はここがおすすめ!
渡辺謙さん主演で年末12時間ドラマ、中井喜一さん主演で映画化と映像化もされている『壬生義士伝』。
映像化されている作品も「涙を誘う」と評判でしたが、小説版は一枚上手です。
小説版の骨格となるのは「語り部」の存在です。
語り部達の口調、生き様、そしてそれぞれの新撰組と吉村貫一郎に対する血を吐くような思い。
「守銭奴」「出稼ぎ浪人」とあざけられた吉村貫一郎のどこに「誠の武士」の姿を見たのでしょうか。
魅力溢れる語り部達、その語り部達のキャラクターをほんの少しだけ、ご紹介しましょう。
神保町「角屋」の店主
登場する語り部の中で唯一、本名を明かしません。
語るところを見ると、京都で新撰組に入隊後、土方歳三と共に各地を転戦し函館五稜郭まで戦い抜きます。
函館の最後の戦さでは「新撰組だ」と叫ぶ官軍に対し、「何だかこう、嬉しくなった」とその時の心情を次のように話します。
そうだよ、俺ァ新撰組さ。
京の港(ちまた)を朱(あけ)に染めて、壬生狼と恐れられた新撰組の隊士だ。
衆を恃んでここまで押してきたおめえらとは、そもそも物がちがわあ。誠一字の旗を背負って、鳥羽伏見から函館まで戦い抜いてきた、俺ァ、壬生義士だ。
この無名の隊士が誰なのかは明らかになってませんが、名にし負う新撰組の強さ、まさにこの無名隊士が絶望の戦場で抱いたこの心情に要約されるのかも知れません。
稗田利八
十九歳で新撰組に参加した「池田七三郎」こと稗田利八。
甲州勝沼の戦さで顔半分を吹っ飛ばされ、片目を失っても生き残った歴戦の勇士です。
新兵として参加した池田七三郎達の教育係りが吉村貫一郎でした。
淀千両松の戦いで「この先生きたところで何ができるのですか」と捨て鉢に言い放つ七三郎に、吉村貫一郎は頭を撫でながら「生まれてきたからには、何かしらなすべき事があるはずだ。
何もしていないお前は、ここで死んではならない」と語りかけ、「それともおまえは、犬畜生か」と問いかけます。「いえ、人間です」と答えて泣き崩れる七三郎。
生き残った七三郎は、千両松の戦場で吉村貫一郎に掛けられたこの言葉を事あるごとに思い出し、泣きながら胸の中で呟くのです。
先生、倅が生まれました。孫が生まれました。
先生、柄にもなく寄付なんぞもして、東京の市長さんから立派な感情を頂きました。
あたしは、人間です。
十九の時に受けた「吉村先生」からの教えを胸に、池田七三郎改め稗田利八は明治と大正の世を立派に生き抜いたのでした。
おわりに:小説『壬生義士伝』の感想
子を思う父の心。父を思う子の心。妻を思う夫の心。夫を思う妻の心。
『壬生義士伝』を評するに、余計な言葉は要らないでしょう。
この「心」が全てです。
吉村貫一郎が何故「守銭奴」と嘲りを受けたのか。
吉村貫一郎が何故「出稼ぎ浪人」と蔑まれても人を斬り続けたのか。
是非『壬生義士伝』を読んで頂き、その理由を確かめて下さい。
そして、号泣してください。
読了後、「自分のなかにこれほど涙が有ったのか」と改めて自覚出来る共に、「また生きて行こう」という新たな活力も生み出してくれる事でしょう。